源氏物語千年紀に合わせ、物語の魅力を探っていくイベントシリーズ「源氏物語〜千年の時を超えて」の第6回「源氏の世界を語る」リレー塾が3日、神戸市中央区の新神戸オリエンタル劇場で開かれた。コロンビア大学名誉教授で文化功労者のドナルド・キーンさんが基調講演「世界に誇る文学遺産・源氏物語」を行い、アナウンサーの加賀美幸子さんが「原文で楽しむ源氏物語」と題し、物語の世界を情感豊かに朗読。この後、フェリス女学院大学の三田村雅子教授と加賀美さんが「物語の転機〜須磨・明石を読み解く」のテーマで、地元ゆかりの「須磨」「明石」巻の面白さを自在に語り合った。
紫式部の日記によると、ちょうど1000年前の寛弘5年(1008年)11月、一条天皇と中宮彰子の前で『源氏物語』が朗読された、とあります。
当時の宮廷の男性は主に漢文と漢詩を読み、女性が仮名で書いた物語には興味がありませんでした。しかし『源氏物語』は、高い評判を得ていたことがわかります。
光源氏は大勢の女性を愛しましたが、本当に幸福な女性は一人もいません。藤壺(ふじつぼ)は光源氏の子供を産み、尼になります。紫の上も光源氏とほかの女性との関係で絶えず悩み、尼になろうとした。六条御息所(みやすどころ)は光源氏を愛し過ぎて、生霊としても死霊としても女性を苦しめます。
正妻の葵(あおい)の上だけは、光源氏を愛さない。平凡な小説家なら、この夫婦がどうしてうまくいかないか説明するでしょうが、紫式部は相互の冷たさは不可解なもの、人間は不可解な存在であると書きました。『源氏物語』を21世紀の文学として読めるのは、著者にそうした洞察があったからです。
『源氏物語』ほど美しい小説はありません。自然の美、人が住む家、着物、書く文字、話す言葉、すべてが美しい。しかし光源氏をはじめ登場人物は、幾度も世のつれなさを嘆き、美しい宮殿を去って仏の道に入りたいと言います。彼らにとって世界は美しくとも、仮そめにすぎないのです。
それでは、紫式部は『源氏物語』をなぜ書いたのでしょう。この質問への答えが、「蛍」帖(じょう)に見えます。
五月雨の退屈しのぎに本を読む玉鬘(たまかずら)に、光源氏が笑って「作りものにすぎない物語に、女性は夢中になるらしいね」と言います。が、すぐに思い直して「日本書紀などは片そばぞかし」、日本書紀は事実だが人間の一面しか描かない。しかし物語には人間のすべてが出てくる、というのです。
本居宣長は「源氏物語 玉の小櫛(おぐし)」で「『物のあはれ』は源氏物語の一番の特色である」と書いています。物事に敏感で、美しい景色でも人の悲しみでも何でも、深く感じとる。この「物のあはれ」は英訳できません。
今日『源氏物語』は3種類の英訳本が出ており、各国の日本研究者が、この最高峰に挑んでいます。ただ私は『源氏物語』を訳そうと思ったことはありません。
なぜなら、私は英訳本に救われたからです。1940年、大学生だった私は憂うつでした。欧州で激しい戦争が行われ、新聞を読むのが嫌になりました。そのとき『源氏物語』に出会いました。戦争のない美しい文学を、私は心から喜びました。それで生涯の仕事が決まりました。『源氏物語』は、日本から世界への最高の贈り物なのです。
司会 原文の魅力について加賀美さんは、どうお考えですか。
加賀美 声に出すと原文の響きが伝わってくる。そして、わかりやすいのです。
三田村 当時は本が数少なく、誰かが声に出して読んでくれれば、みんなが一度に聞けて楽しめる。源氏物語音読論と言う享受の歴史がありました。
司会 「須磨」「明石」巻については、どう思われますか。
加賀美 自然描写が本当に美しい。海辺の波、風、月の美しさが身にしみて感じられます。
三田村 「須磨」「明石」は、物語全体の折り返し点に当たる。光源氏の前半生は肉親を次々に亡くし、マイナスの話が極まったところで、栄華を極める人生が始まっていくのです。
加賀美 なぜ須磨なんでしょうか。
三田村 当時、須磨には畿内と畿外を分ける関があり、その一番端に謹慎して身を寄せた。菅原道真が西へ行ったイメージも大きかったと思われます。
司会 須磨でつらい日々を過ごしている時に嵐が起こる。
三田村 光源氏が須磨の海岸でお祓(はら)いをし、「神もあはれと思ふらむ 犯せる罪のそれとなければ」と歌った。その途端、にわかに風が出て、空もかき暮れてきた。光源氏は、神は自分を罪だと思っているのかと動揺する。嵐それ自体が、光源氏の心中の大きな罪意識をはらえる、カタルシスになっています。
連日連夜の嵐に疲れ果てた光源氏がうとうとしていると、夢枕に桐壺(きりつぼ)院が立つ。明石入道の方でも夢のお告げがあって舟を出したところ、風の流れのままに須磨へ着いた。不思議な夢の呼応があったのです。
加賀美 ドラマチックですね。そして入道の誘いで明石に移るんですが、ここで明石の君との出会いがある。
三田村 それが須磨流離の大きな意味といえる。物語の主人公が異境を訪問して、ふだん会わないような女性に出会い、宝物――この場合は姫君を得て帰るというのが、物語の基本形です。
加賀美 明石入道の、娘への教育ぶりは徹底していたようですね。
三田村 教養として琴を勉強させ、それから和歌もうまい。光源氏は明石一族のハイレベルな教養に心が抱きとめられるように、思いを寄せていくのです。
司会 ところで明石の上、明石の君、どの呼び方が正しいのですか?
三田村 『源氏物語』の人物名は、みんな長い享受史の中で慣用で呼んでいるので、「明石の上」という通称が一般的。ただ本文中、彼女をあえて北の方格の「上」とは呼んでいません。
興味深いのは、物語が進むにつれて「明石の御方」「明石の君」「明石の人」「明石」と、扱いが軽くなるんです。これは、光源氏と紫の上の態勢に迎えられた明石の姫君の、生母としての存在感がじわじわ物語の中に浮かんでくることと、かかわりがあるのだと思いますね。
加賀美 その姫君が、「宇治十帖」の主人公・匂宮(におうのみや)の母になります。
三田村 明石一族は、光源氏の人生の表舞台には登場しない。明石の君が、3歳の時に手離し紫の上に託した姫君と再会できたのは、姫君が東宮に入内(じゅだい)した夜。あくまで紫の上の代理の、後見役として紹介されました。
司会 明石の君は、最終的に幸せだったのでしょうか。
三田村 子孫が繁栄したという意味では幸せですね。でも男女の仲という意味では、やっぱり幸せでなかったと思う。光源氏は紫の上を見ていました。
加賀美 当時の女性は幸せになりたくても、そうは生きられませんからね。光源氏という輝く存在を中心に、女性たち一人ひとりを描き切った、紫式部の構成力はさすがですね。
三田村 明石の姫君が出産する際、祖母である尼君は、母・明石の君がどんな思いで出産したかを語り聞かせた。明石3代の女性たちが、出産を通じて、男たちの夢を次世代に伝えていったともいえますね。
〈主催〉 読売新聞大阪本社
〈共催〉 源氏物語千年紀委員会
〈後援〉 文化庁、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、関西経済連合会、京都商工会議所
〈協賛〉 岩谷産業、NTT西日本、オムロン、関西アーバン銀行、関西電力、きんでん、コスモ証券、清水建設、ダイキン工業、ダイワボウ情報システム、日本生命、非破壊検査、丸一鋼管、ユニチカ