[詳報]千年紀 今を盛りと蝉時雨

嵯峨野の寺に 募る歌心

 歌人の俵万智さんと、源氏物語ゆかりの地へ出かける歌作の旅「俵万智の源氏ロマン吟行会」。最終回の第5回は7月20日、光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)が別荘を構えた地に建立された清凉寺(京都市右京区)で開かれた。照りつける強い日差しの下、約110人の参加者は、夏木立に囲まれた境内を蝉(せみ)時雨を聞きながら散策し、1000年前の平安の世への思いを歌に託した。

多宝塔を背景に、俵万智さん(中央)と一緒に説明を聞く参加者(京都市右京区の清凉寺で)=原田拓未撮影

 今回、参加者より一足先に清凉寺に到着した俵さん。吟行前のミニトークで「源融似という阿弥陀(あみだ)如来像を見たら、意外とマッチョでした」と会場を沸かせ、「家でほぼ歌を仕上げて来た人も、ここで見聞きしたり感じたりしたことを滑り込ませて」と助言した。

 この後、参加者は歌材を求め、本堂や阿弥陀堂、多宝塔などを訪ね歩いた。

 阿弥陀堂の軒下でたたずんだ兵庫県尼崎市の主婦加藤照子さん(75)は「お寺の広さや緑の多さに驚いた。霊宝館で阿弥陀さんのお顔を見ると目鼻立ちが整っており、光源氏さんはこういうお顔だったのかとしげしげと眺めてしまいました」と感慨深げ。

 多宝塔近くのベンチに陣取った大阪府枚方市の無職石田尚夫さん(68)は、「阿弥陀さんにも、本堂のお釈迦(しゃか)さんにも迫力を感じた。それぞれの場所でいろんな由来を聞き、1000年前を想像した」とほほ笑んだ。

 メモ帳にびっしりと言葉を書き付け、頭を悩ませていたのは、3回目の参加となった大津市の無職脇毅さん(77)。「光源氏なら何を感じたかと想像すると、言葉がたくさん浮かんでまとめるのに苦労します」。初参加の和歌山市の介護施設職員角谷昌俊さん(47)は「光源氏のモデルとなった人のイメージを言葉にするのが難しい」と話していた。

境内で短歌の構想を練る参加者

 5回連続参加となった京都市伏見区の無職西川英勝さん(64)は「こういう機会がないと行かない神社やお寺ばかり。源氏物語ゆかりの地で、いにしえの世界に思いをはせることができた」と、満足そうだった。

 表彰式で俵さんは「今まで以上にいい歌が集まり、厳しい選考を強いられました。今の時代に足りないのは『ロマン』。ロマンとは想像力であり、相手を思い、風の音にもはっとするような心の豊かさだと思うんです。今回で私との吟行会は終わりますが、みなさん自身の源氏吟行会は続けてほしい」と締めくくった。

最後の吟行会を終えた俵さんは、次の3首を読売新聞に寄せた。

 野宮(ののみや)のかぐろき鳥居 千年ののちにも人は人を恋うなり

 生き生きと、否、なまなまと微笑せり清凉寺に会う嵯峨光仏は

 往来をゆく人力車ときおりは「ひかるげんじ」という語聞こえて

俵万智

京都・清凉寺

融の遺志継ぎ息子が建立

 「嵯峨釈迦堂」の名で親しまれる清凉寺は、京都・嵯峨野の名刹(めいさつ)。ここに元々、源融(822〜895)の別荘「棲霞観」があったことから、千年紀を迎えた源氏物語ゆかりの寺として脚光を浴びている。

 寺院建立を志しつつ亡くなった融の遺志を継ぎ、息子が阿弥陀堂を建立、「棲霞寺」と名付けたのがその始まり。創建当時の本尊・阿弥陀三尊像(国宝)のうち、「嵯峨光仏」と呼ばれる中央の阿弥陀如来像は融に似せて作られたとされ、整った顔立ちと気品漂う姿は、光源氏もかくや、と想像をかき立てる。

 現在の本尊・釈迦如来立像(同)は日本三如来の一つ。10世紀末、東大寺の僧が宋から持ち帰り、その死後、弟子が安置した棲霞寺内のお堂が「清凉寺」と呼ばれ、鎌倉時代以降、寺全体がその名で呼ばれるようになったという。お堂は焼失を繰り返しながら、現在の本堂(釈迦堂)へと至った。

 京都三大火祭の一つ「お松明(たいまつ)式」(3月)や、重要無形民俗文化財の「嵯峨大念仏狂言」(4月)では大勢の檀(だん)信徒(しんと)らが詰めかける。僧侶の大坪裕典さん(28)は「お参りしてもらい、心の安らぎを得ていただければ」と話している。

入選作品

光源氏賞

松浦康弘さんの写真

 風とおる36度の棲霞観(せいかかん)君への思いすっと冷やして

 松浦康弘さん(44)(名古屋市天白区)

 「阿弥陀堂の軒先に座っていると、ふっと風が吹き、クーラーもない中で涼しさを感じた。その時の気持ちを詠んでみた。光源氏と名のつく賞をいただけて光栄。これを励みに、これからも歌を続けていきたい」

俵万智特別賞

加嶋信さんの写真

 あああれが仁王門かとあおぐ道ほおずき揺らし自転車が来る

 加嶋信さん(68)(大阪府枚方市)

 「駅を出て急いで清凉寺へと歩くと、仁王門がぱっと目に飛び込み、自転車が通り過ぎた。その光景が吟行中も頭から離れなかった。素直に詠んだのがよかったのかも。細々と歌を続けてきたが、参加2回目で受賞でき、感激している」

紫の上賞

酒井美智子さんの写真

 猛暑日に北山杉は凛(りん)と立ち五感が動く嵯峨野に居(お)りぬ

 酒井美智子さん(54)(大阪府茨木市)

 「ふと見かけた北山杉の姿が印象に残り、あとは言葉が私の中に降りてきたような感覚。3月ぐらいからなかなか思うような歌が詠めなかったが、今日は五感が刺激されて『私はここにいる』と実感でき、久々にすっきりと詠めた」

寺田政信さんの写真

 蝉時雨短き命生き継ぎて千年の寺今も賑(にぎ)わす

 寺田政信さん(68)(大阪府交野市)

 「仁王門をくぐった時に蝉時雨が聞こえ、この言葉を使いたいと思った。源氏物語に登場する空蝉(うつせみ)とも重ね合わせ、はかなさと、生き継がれてきた千年の時間の対比を心がけた。普段は俳句を詠むことが多く、三十一文字は難しい」

平田恵美子さんの写真

 ここにおはす面影写しの阿弥陀さま私の源氏に今日また出合う

 平田恵美子さん(45)(広島市中区)

 「源融をモデルにしたという阿弥陀様は、寄り添いたくなるような静かな魅力をたたえた仏さま。読む時の自分次第で、光源氏は好きになったり嫌いになったりと印象も変わるが、この阿弥陀像を見て、また新たな源氏像が加わった」

藤壺賞

大石佳子さんの写真

 法輪を回して後(のち)の足元に光が満ちて笑仏(しょうぶつ)の見ゆ

 大石佳子さん(60)(兵庫県丹波市)

 「経蔵で法輪を1回転させると一切の教典を読むのと同じ功徳があると知り、回してみた。するとお堂の外で、足元に太陽と光源氏、仏様の三つの光が重なったように感じた。寺のパンフレットには『笑仏』の文字。ああ、光の中を笑仏が通り抜けたんだと思った」

中野伸子さんの写真

 群青の山に囲まれ眠る君目覚めれば早(はや)21世紀

 中野伸子さん(59)(京都府京田辺市)

 「山に囲まれたように見えるお墓に源融さんが眠っている。もし彼が今、目覚めたらと思いつき、『もう21世紀ですよ』と呼び掛けていた。古いお墓を見て、長い間読み継がれてきた源氏物語のすごさも実感。この吟行会では3回も受賞でき、とてもうれしい」

小池栄子さんの写真

 千年の風のもつれる清凉寺光源氏の袖の香過ぎる

 小池栄子さん(57)(大阪府豊中市)

 「母を80歳で亡くしたばかりで、気分転換にと参加した。自宅で線香を絶やさぬようたいており、香りに敏感になっていたのか、お寺に漂うお香の香りに、光源氏の袖のにおいかなと思いついた。受賞は母が手伝ってくれたのかな」

清凉寺賞

 みどり濃き嵯峨の御堂は七月の陽の中はるかな謐(しず)けさ保つ
 丹羽正子さん(73)(大阪府茨木市)

 阿弥陀堂深きみどりにつつまれて声を限りになく蝉の声
 巽和代さん(65)(神戸市東灘区)

 空見れば甍(いらか)の黒と空のあを若葉のみどり変わらぬ時間
 内田佳菜里さん(16)(滋賀県守山市)

〈主催〉 読売新聞大阪本社
〈共催〉 源氏物語千年紀委員会
〈後援〉 文化庁、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、関西経済連合会、京都商工会議所
〈協賛〉 岩谷産業、NTT西日本、オムロン、関西アーバン銀行、関西電力、きんでん、コスモ証券、清水建設、ダイキン工業、ダイワボウ情報システム、日本生命、非破壊検査、丸一鋼管、ユニチカ
〈協力〉 日本トリム

2008年08月05日  読売新聞)