源氏物語千年紀を記念して、物語の魅力を多角的に探るイベントシリーズ「源氏物語〜千年の時を超えて」の第5回「源氏の世界を語る」リレー塾が5月17日、京都市左京区の京都会館で行われた。「リンボウ先生」の愛称で親しまれている作家の林望さんが基調講演「嗚呼(ああ)、深いなあ、源氏物語の魅力!」を行い、フリーアナウンサー近藤サトさんが「六條鎮魂〜みやすんどころたましづめ」と題し、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の心情を朗読した。吉海直人・同志社女子大教授を交えてのフリートーク「物語が織りなすひと模様」では、リアルな人間造形の妙に観客らが聞き入った。司会は上田千華さん。
『源氏物語』が描く「もののあはれ」とは、一言で言えばヒューマニティーだ。人間の様々な感情、喜怒哀楽、恋、別れの悲しさ、親子の情愛……人間の営為を描き心のひだに分け入った、これほど大きな書物はない。
様々な女が登場する。その中で、空蝉(うつせみ)という人物を考えてみたい。源氏と空蝉との最初の出会いは、「帚木(ははきぎ)」巻の「雨夜の品定め」の後に見える。男たちがああでもない、こうでもないと言う一つの結論として、中流どころで人知れず美人がいる、そういうのがいいと。方違(かたたが)えで、そんな中流階級である紀伊守の家に、源氏が一夜宿る場面で空蝉は登場する。
彼女の父親は中納言で衛門督(えもんのかみ)。相当な身分の貴族だ。しかし親が死に、身分は低いが裕福な受領の後妻になった。宿先で浮気心に口説こうとなさっているのだから、言うことを聞けば自分がつらいだけだ。もし、娘時代に源氏から見初められていたら。拒絶しよう。でも拒絶し尽くせない。
源氏は自分になびかない女に、恋文を贈る。美しい紙にすばらしい筆跡の手紙を受け取って、その手紙がすばらしいほど彼女は悲しくなる。懸命に自分にブレーキをかける。この空蝉の心の闇は、一つの読みどころだ。よく思われたい。口説かれたら困る、でも口説いてほしい。永久の謎の中をぐるぐる回っている。
「空蝉」巻の最後にある、源氏への返歌は「忍び忍びに私はあなたを思って泣いております」という意味。これを儀礼的な返歌と受け止めては『源氏物語』を読むかいがない。形式をふみながら、そこに空蝉の本心が吐露されている。
後に「関屋」巻で、石山に詣でる源氏一行と、空蝉の夫・常陸介(ひたちのすけ)一行がすれ違う。この時は身分違いで、それでも手紙のやりとりはするが、もはや恋愛は介在しようもない。「玉鬘(たまかずら)」巻で、夫と死に別れ出家した空蝉を源氏が引き取り、「初音」巻で2人がしみじみと昔語りをする。
結局、空蝉は源氏にひかれながら、しかしその恋心は空想的で、そこに肉体的なものが加わると自分の劣っている部分が切なくなる。
『源氏物語』は、このように分裂して懊悩(おうのう)する人間を描き続ける。しかも原文を音読して、心理がぐーっと煮詰まってくると、ふっと「暁(あかつき)にもなりぬ」などと場面転換していく。見事に読者の気を引く書き方だ。そんな巧みさも含め、やはり『源氏物語』は古今独歩の文学だと思う。
近藤サトさんは、六条御息所と思われる生き霊があらわれる「夕顔」の巻から、光源氏の正妻・葵の上がとり殺される「葵」の巻までの女性の妄執を朗読し、時に激しく、時に感情豊かに演じ分けた。終盤では、世阿弥がつくったと伝えられる謡曲「野宮」を取り入れ、光源氏の愛を失った悲しさと、なお思わずにいられない苦しみを、切々と表現した。
司会 朗読の後半、能の要素が取り入れられていて珍しい演出ですね。
近藤 はい。世阿弥が『源氏物語』から着想を得てたくさん作った中で、「野宮(ののみや)」を自己流にアレンジして。果たして六条御息所は、俗世の苦しみから解放されたのか。それは皆さんの解釈にゆだねようと。
吉海 謡曲は最後、仏教的な意味で救われるのかなと思わせます。しかし『源氏物語』の方は生易しくない。「葵(あおい)」巻で生き霊として登場した六条御息所は、今度は死霊となって紫の上や女三宮にとりつく。
近藤 読めば読むほど、主人公は源氏であって源氏でない。どの巻を読んでも女性が掘り下げてある。
吉海 平安朝は一夫多妻と言われ、大勢の女性に対応するという意味で、光源氏はどうしても多重人格みたいなところがある。
近藤 朗読しているとよく、「自分ならどのお姫様になりたいか」と聞かれますが、皆さん不幸ですよね。私は、自分のお姫様を光源氏とくっつけたりする役回りの、女官になってみたいですね。
司会 数々の女性の中で、一番大変な思いをしたのは?
林 一番いたたまれないのは紫の上でしょう。どの女君もどこか救われるようにはできていて、六条御息所も娘は中宮になるし、明石の方も姫君が出世する。紫の上は一番かわいがられたが、子供は授からない。人生は差し引きゼロと言っている気がしますね。
近藤 差し引きゼロでも、トータル10の人と100の人がいる気がします。紫の上は、その落差が大きい。朗読を始めたころ、紫の上は翻弄(ほんろう)されているだけの女性のような気がしたのですが、最近は打ちのめされても頑張る晩年の強さが気になって。紫の上をここまで不幸にしたのは、紫式部の意図だったんでしょうか。
林 でも紫の上って結構ちくちく言って、源氏が閉口していますよね。その辺り、人間的な感じがする。
吉海 光源氏は小さいころから自分が育てた紫の上の、すべてがわかると思っているが、彼女はいろんな苦労のすえ精神的に成長し、光源氏の方が取り残されてしまう。そこも面白い。
林 源氏は須磨から帰った後、とんとん拍子に出世して世界を掌握する。だが唯一、子供に恵まれない。藤壺の産んだ皇子は自分の子じゃないことになっているし、女三宮が産むのは実は柏木の子だ。
吉海 『源氏物語』には、男女仲むつまじい場面はあっても、親子仲むつまじい場面はあまりない。夕霧には雲居雁(かり)との間に13人も子供ができるが、そんな夕霧は物語の主人公たりえない。むしろ子供のできない紫の上の悩み、あるいは不義密通の子を光源氏が抱いて何を思うかといった中に、紫式部の求めた物語の方向性がある。

近藤 光源氏の父・桐壺帝は、藤壺の産んだ皇子を源氏に見せて「おまえにそっくりだ」と喜ぶ。片や源氏は、女三宮を寝取られた時、相手の柏木をねちねちいじめる。男としては桐壺帝のほうが一枚上手かな、と思うのですが。
吉海 『源氏物語』は、読者が本当に知りたいことは明らかにしないので、桐壺帝が知っていたかどうかはわかりません。しかし光源氏はいざ同じ立場になって、「父上は知っていたかもしれない」と思う。
林 僕は光源氏は、やっぱり嫌なやつだと思う。でも、だからこそ美しく描いて、その美しい嫌な男を苦しめるところに、面白みがある。
近藤 女性の思いは、1000年前も現代も宮中であろうが庶民であろうが変わらない。
吉海 『源氏物語』は大きな作品ですが、年齢に合った読み方ができる。今年だけで終わらず、一生楽しんで頂きたい。
〈主催〉 読売新聞大阪本社
〈共催〉 源氏物語千年紀委員会
〈後援〉 文化庁、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、関西経済連合会、京都商工会議所
〈協賛〉 岩谷産業、NTT西日本、オムロン、関西アーバン銀行、関西電力、きんでん、コスモ証券、清水建設、ダイキン工業、ダイワボウ情報システム、日本生命、非破壊検査、丸一鋼管、ユニチカ