華やか 平安の恋

 源氏物語千年紀を記念して、物語の魅力を多角的に紹介するイベントシリーズ「源氏物語〜千年の時を超えて」の第4回「源氏の世界を語る」リレー塾(読売新聞大阪本社主催、源氏物語千年紀委員会共催)が2月17日、大阪市中央区のそごう劇場で行われた。武庫川女子大学教授の、たつみ都志さんが、生涯に3度、源氏物語の現代語訳に取り組んだ谷崎潤一郎をテーマに基調講演、文芸作品の「語り部」として活躍する平野啓子さんが当時の装束に身を包み、「若菜」を朗読した。源氏物語を題材に数々の作品を描き続けている洋画家の城戸真亜子さんを交えて行われたフリートーク「今に生きる源氏物語の心模様」では、女性の視点や芸術家ならではのユニークな解釈が披露され、観客らは、雅(みやび)やかな平安絵巻の世界に思いをはせていた。

<基調講演>谷崎「細雪」、源氏訳ヒント…たつみ 都志さん

たつみ・とし 武庫川女子大文学部教授、芦屋市谷崎潤一郎記念館副館長。関西学院大在学時から谷崎文学の研究を始め85年、関西での足跡や作品の舞台をたどった著書「ここですやろ谷崎はん」をまとめた。谷崎旧邸の保存・復元活動にも取り組む。

 谷崎潤一郎(1886〜1965)は生涯に3回、源氏物語の現代語訳に取り組みました。1935年、51年、63年のことです。東京・日本橋出身で、関東大震災(1923年)を機に阪神間に移住、21年間を過ごしました。3回結婚し、3人目の妻・松子が、「細雪」に登場する四姉妹の二女のモデルです。そして神戸の魚崎(神戸市東灘区)に住んでいたころの出来事を、ほぼフィクションなしで「細雪」に書いた。その創作と深く関連していたのが源氏物語の現代語訳でした。

 訳を手がけた、端的な理由はお金です。人妻だった松子と結婚する際、前夫が、妻の妹たちの面倒も見てほしい、との条件を出した。なにせ「細雪」のモデルの姉妹だから、ぜいたくです。出版社の社長に相談すると、月500円の報酬で訳の話がまとまった。少し後の、谷崎邸の家賃が85円だったころの500円です。

 戦争前夜で軍部の思想弾圧が厳しさを増す中、古典訳は比較的大目に見られていましたが、「源氏物語」は天皇家にかかわる物語。依頼を受けた国文学者、山田孝雄(よしお)・東北大学教授が校閲を担当しました。山田は▽光源氏と義母・藤壺(ふじつぼ)との密通▽その子が帝位につくこと▽光源氏が准太上天皇に上りつめること――を記さない、との条件を示しました。

 しかし、この三つの要素を除けば、源氏物語は、源氏物語でなくなってしまう。栄華を極めた源氏は、帝の愛娘(まなむすめ)・女三の宮をめとるが、病気の紫の上を気遣ううちに、女三の宮は柏木と密通してしまう。その時、源氏は「父も、自分と藤壺との関係を知っていたのでは」とおののく場面からも分かるように、物語全体を因果応報という大テーマが貫いています。

 そのテーマを書くな、と言われたも同然ですが、谷崎はその条件をのみ、桐箱(きりばこ)入り和とじの旧訳「谷崎源氏」が生まれた。文学的価値はない。が、だからこそ、戦時中だったにもかかわらず出版できた。

 谷崎は戦中は岡山に疎開、戦後は京都で暮らしました。そして、現代語訳に再挑戦したいと思った。そこで助手を務めたのが玉上琢弥。後に「源氏物語評釈」という大著を残した国文学者です。この51年刊「新訳源氏物語」は、原文に近く、やや難解ですが、音読すると耳に心地よい。さらに79歳で亡くなる前、旧仮名遣いを改めた「新々訳源氏物語」を刊行しました。

 源氏物語と細雪との共通点とは何でしょうか。源氏物語は、光源氏の女性遍歴を縦糸に、京都の春夏秋冬を横糸にして、光源氏とその子、孫の3代を描いた大きな大きな織物のような作品です。一方、細雪は三女雪子の婿選びと四女妙子の男性遍歴を縦糸に、京阪神の春夏秋冬を横糸にした織物なんです。谷崎は源氏訳の仕事を通じて、この構造上の手法を着想した。そして戦後、華やかな物語に飢えていた社会に、細雪は熱烈に受け入れられたのです。

<朗読>「若菜」…平野さん

 「若菜」の朗読では、朱袴(しゅばかま)に袿(うちき)という平安装束に身を包んだ平野さんが、皇族の女三の宮をめとりながら裏切りに遭い、最愛の紫の上も病で亡くすというドラマチックな光源氏のストーリーを、身ぶり手ぶりを交えながら披露。新内節浄瑠璃の人間国宝、鶴賀若狭掾(つるが・わかさのじょう)さんの三味線や語りが情趣を醸し出した。

<フリートーク>今に生きる源氏物語の心模様

脳の中で色渦巻く・・・城戸 真亜子さん
  日本独特の恋愛観・・・平野 啓子さん

城戸真亜子さんが描いた「空蝉」をバックに、華やかなトークが繰り広げられた(左からたつみさん、平野さん、城戸さん)

 たつみ 背後にある絵画は、源氏物語をモチーフにした城戸さんの作品「空蝉(うつせみ)」です。斬新な絵で、皆さん、びっくりされたんじゃないでしょうか。源氏との出合いは?

 城戸 本格的に読んだのは中学時代。田辺聖子さんの訳です。それから大和和紀さんの漫画の「あさきゆめみし」を読んで「すごく色彩豊かな物語だな」と。脳の中で色が渦巻くような感覚でした。その後は洋画一辺倒で、しばらく離れていましたが、ある時、タイを旅して自分の中の「アジア」が目覚めました。アジアの一部である自分を表現する題材として、源氏物語の、あの「色の渦巻き」がよみがえってきました。

 たつみ 1989年のシリーズ1作目ですね。他にはどんな作品が?

きど・まあこ 洋画家。武蔵野美術大学油絵学科卒業。1981年女流画家協会展、98年VOCA展入選。89年から「源氏物語」シリーズを手がける。静岡駅ビル壁画など公共アートも制作。エッセー執筆やテレビ出演など、幅広いジャンルで活躍。

 城戸 「夕顔」や「紅葉賀」「朧(おぼろ)月夜」、「葵(あおい)」「明石」「朝顔」「少女(おとめ)」など。いろいろと描きました。

 たつみ 先ほど、平野さんが朗読された「若菜」もぜひ見てみたかった。

 城戸 この「空蝉」をご覧になって、抵抗を感じる方がいらっしゃると思います。なぜこんな現代風の、大きく脚を開いたお姫様が――と。これでも遠慮したつもりで、「若菜」や「浮舟」は、さらにおどろおどろしい描写になっていますよ。

 平野 城戸さんの絵は源氏物語の本質を表現している、という感じがします。源氏物語には今どきのドラマのように心の中で思い合ってすれ違って、という描写がない。好きになるイコール肉体関係なんですね。

 城戸 私も、そんな内面を描きたいと思いました。王朝物語ですから露骨な描写はない。でも、肉体と心とが散り散りになって乱れる心境が、女同士の通じ合う「言語」として、わかりあえたんじゃないかと。

 たつみ 精神も肉体も相まって、初めて愛されていると。城戸さんが抱く、女三の宮のイメージは?

ひらの・けいこ 語り部。NHKニュースのキャスターや、大河ドラマのナレーションなどを務める。「語り芸術家」として国内外で、日本語や日本文化を紹介。文化庁芸術祭大賞受賞。大阪芸術大教授。著書に「短歌のこころ語りの心」など。

 城戸 父親に大事にされすぎて、自分の考えを深めたり、相手の気持ちをおもんばかったりする経験がないまま成長した人。今の時代の若者のコミュニケーション不全、引きこもり傾向に似ている。自己確立がないから、柏木との密通も「仕方ない」とあきらめ、そんな自分に嫌気がさす。

 平野 でも、女の勘は鋭いかも。結婚したが、源氏の心は自分に向いていない。苦しい。そんな時、源氏には劣るが「愛だけは負けない」と通ってくる柏木をふり切れず……。そういえば、光源氏をぎゃふんとさせた男は柏木くらいですよね。

 たつみ 光源氏は、その柏木をいじめて、死に至らしめる。男のしっとは怖い。

 ところで私にとって、平野さんは紫の上、城戸さんは明石の君のイメージなんですが。

 平野 紫の上はあこがれますが……。「若菜」でも、女三の宮に通う光源氏のために、いつもより念入りに香をたきしめる。私なら、穴のあいた靴下か何かはかせちゃいますよ。(笑)

 たつみ 城戸さんは、明石の君をどう思われます?

 城戸 奥ゆかしく立場をわきまえ、知的ですよね。最終的に自分の娘が入内して、とてもいい立場に落ち着く。ここに、何か教訓を読み取るべきでしょうか?(笑)

 たつみ はい。彼女には、父・明石入道が持たせた財産がある。紫の上に預けた娘が東宮妃、後に中宮となり、紫の上が亡くなると、最終的に六条院を支配するのは明石の君です。実はすごい勝ち組なんです。

 平野 そう考えると晩年の紫の上は気の毒。男にとって都合のいい女かも。

女性ならではのおおらかなトークに耳を傾ける来場者たち

 たつみ 最後に源氏物語への思いをうかがえますか。

 平野 人の心は普遍的なものですが、「源氏」の男女関係は平安朝の粋を極めた中で描かれる。これはやはり日本独自の恋愛ドラマで、とてもロマンをかきたてられます。

 城戸 月夜の雪景色のような無彩色の美が、一般的には「すさまじき(荒涼とした)もの」と考えられていた時代に、紫式部はその奥深さを「すべての色が溶け込んでいるようだ」と、光源氏に語らせた。新しい価値観、感性を示し、訴えかけた点も魅力的だと思いますね。

〈主催〉 読売新聞大阪本社
〈共催〉 源氏物語千年紀委員会
〈後援〉 文化庁、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、関西経済連合会、京都商工会議所
〈協賛〉 岩谷産業、NTT西日本、オムロン、関西アーバン銀行、関西電力、きんでん、コスモ証券、清水建設、ダイキン工業、ダイワボウ情報システム、日本生命、非破壊検査、丸一鋼管、ユニチカ

2008年03月07日  読売新聞)