「源氏物語」。日本人なら誰でも知っている。小学校の「歴史」からそのタイトルは出て来る。中学、高校ではその原文の一部分をちょこっと囓(かじ)る。大抵そこでウンザリするので、全文を読み通す人は稀(まれ)だと言われている。
私が初めて「源氏」に触れたのは中学生の頃(ころ)、ジュニア向けのダイジェスト版だった。幸いにも易しく書かれてあったので、平安期の美しく華やかな宮廷生活と姫君と光源氏の恋の物語を素直に受け止める事ができた。面白かった。
やがて短大、いよいよ高名な「源氏物語」を読破するぞと与謝野晶子版に挑んだが、訳そのものが既に私には古典と等しく、挫折した。しかし日本語の言葉の美しさ、深さに初めて気付かされ、以来「日本・和の心」は私にとって憧(あこが)れともなった。
漫画生活を始めて数年後、やっと円地文子訳で出版され、今度こそ一気に読み切った。
素晴らしかった。ちりばめられた美しくも優雅で哀(かな)しい恋の数々の間に平安期の政治、宗教、文化が骨太に織り込まれている。このスケールの大きさ、現代小説にも匹敵する心理描写の細やかさ、それが千年もの昔、一人の女性によって書かれたのだという事に再び感動し、誇りさえも感じたものだ。
しかるに、私の周りの友人達は誰一人、「源氏」を読まない。いわく「長すぎる」「登場人物が多すぎて解(わか)りにくい」等々。
勿体(もったい)ない。教養だの知識だのを取り除いても、まさに「更級日記」の作者が后の位もものかは、夜も昼も浸り続け読み続けたラブ・ストーリーなのだ。このまま古典文学の研究対象にしておいて良いものか。
そうこう思ううちに、次は何か歴史もので行きましょう、と言う仕事依頼があり、難しい、大変だ、不安だ、と迷いながらも15年間にわたり、「源氏」と取り組む日々が始まったのだった。
拙作「あさきゆめみし」は、かなり原作に忠実な少女漫画である。しかし漫画ゆえに手軽に「源氏」に触れる事が出来る利点があるようで、原作には及ばないが、少なくとも「源氏」の裾(すそ)野を広げる役には立ったのかもしれないと思う。
それにしても千年もの間、書き写され、また読み継がれ、なおファンを増やし続けているこの物語の魅力はどこにあるのだろうか。
それはこの物語に登場する人々の姿が、いつの世にも、又(また)どこの国であろうと、私達すべての姿と重なり合う、人間というものへの普遍性を備えているからだろうと思う。
この度「源氏物語」誕生千年を記念して数々の催しが開かれるという。「作品」にとってなんと幸せな年かと思う。この機会にぜひ一度、原文とは言わぬまでも口語訳を一人でも多くの方が手に取って戴(いただ)き、日本人として「源氏物語」……日本の美学に触れて戴きたいと思う。
やまと わき 漫画家、北海道出身。源氏物語を題材にした「あさきゆめみし」は文庫を合わせ、約1800万部のベストセラーに。代表作に「はいからさんが通る」「ヨコハマ物語」など。現在、Be―Love(講談社)で「紅匂ふ」を連載中。